自然からのプレゼント温泉に魅せられ、いい湯+グルメや城跡を求めて、あっちへこっちへ…                                                                  温泉 グルメ 城跡に限らず、大切な思い出を癒しの宝箱にいーっぱい詰めこんでいきたいと思います。皆さんもお手伝いして下さいね(^^♪
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小田原城攻め (^O^)/
2012年06月18日 (月) | 編集 |
湯河原温泉の帰り道に、スタンプゲットのために小田原城を再度攻め落としてきました


それではまず最初に小田原城の歴史を簡単に (興味のある方は御覧下さい

小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。
1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。

江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。
稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。
その後、大久保氏が再び城主となり、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきました。

しかし、小田原城は明治3年に廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまったそうです。

現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されています。
また、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣が復興、
次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、平成21年(2009)には馬出門が復元されました。

平成18年10月に、「日本の歴史公園100選」に選ばれたようです



それでは、小田原城のご紹介のはじまりはじまり~~~


まず駐車場ですが
お城の駐車場は、観光バスや、障害者の方のみとなっていて
近くのパーキングに停める事になります



お城の入口にあった藤棚です
P1080332.jpg
お城の地図などに、藤棚が書いてあるので、結構有名な藤棚なのかな~と調べてみたら
大正天皇感嘆の「御感の藤」というものでした
まだちょっと早い感じでしたが、何人かの方が、お花見をしながら佇んでいましたよ~
満開になったらさぞかし綺麗なんだろうな~と思いました



ファーストコンタクトの水掘です
P1080333.jpg
左側にチラッと写っているのが、上の藤棚です



お城の外周に沿って少し反時計回りに歩く
二の丸に到着します
P1080334.jpg
この辺の復元は、平成21年(2009)だと思うのでのん達は初めて見る事となりました



城址公園の南側に位置する馬屋曲輪です
P1080335.jpg
三の丸から二の丸に入る大手筋(正式な登城ルート)の重要な曲輪です。
三の丸からは馬出門、お茶壷曲輪からは中仕切門から馬屋曲輪へ入り銅門へと続きます。
江戸時代では登城者に対しての番所として機能
していたようです。
二の丸の虎口(登城の為の出入り口)は銅門を囲むようなL字型の構造の曲輪で、
二の丸の馬出と考えても良いそうです




二の丸にある観光案内所です
P1080336.jpg
小田原城は、最初に書いた通り
天守閣や常盤木門、銅門などはすべて戦後の新しい建築であり、
残念ながら、15世紀半ばの築城から幕末にかけての建築は、明治の初期までにすべて解体されています。
そんな中にあって、この二の丸観光案内所は、昭和の初期に建てられた近代建築であり、小田原城の建築物の中では、同じく城址公園内にある小田原城歴史見聞館と共に一番歴史あるたてものかもしれません
下見板張り、縦長の上げ下げ窓など、洋風の躯体を持ちながら、史跡の雰囲気を壊さぬよう、屋根は日本建築の意匠となっているみたいで
明治の初期の居留地等にあった、いわゆる擬洋風建築の部類に入るものと思います。




それでは、いよいよ天守目指して攻めますよ~



新しい白壁ですが、水掘りの深い緑に映えてますね~
P1080338.jpg



近くには現存当時の画像が飾ってありました
P1080337.jpg
すごいです
こういうお写真を見ると
いつも、何とか修理して残せなかったのかと
いつも残念に思います
明治の初めには、たくさんの名城が解体されてしまいました



そして、銅門前では、小田原城主がお出迎えです
P1080339.jpg
ん~~~



さ~
いよいよ天守目指して入門しますよ
P1080340.jpg



銅門(あかがねもん)からの入ります
P1080342.jpg
お~
さっそく守りの兵が登場ですか~
いえいえ
銅門前には、鎧を着ているおじさま方がいて、記念写真を撮っていました
のんも撮るうかな~と思いましたが、時間がかかりそうだし、感染防止のためマスクウーマンなのでやめておきました



銅門にズ~~ム
P1080341.jpg
銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治5年に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていました。往時は、馬出門土橋(現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御屋形や本丸、天守閣へと進むようになっていました。
銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由来します。
現在の銅門は、昭和58年(1983)から行われた発掘調査や古写真、絵図などを参考に、平成9年に復元されたもので、石垣による桝形、内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式で、本来の工法で復元されています




そして、あれっ
撮影しておいて、なんだか忘れてしまいましたが
伝 銅門礎石って書いてありますか~
P1080343.jpg
たぶん、銅門に使われている土台の石ではないかと思います
そして「伝」 という事は、そう伝わっているという事ですかね



銅門の土塀をパチリと思っていましたがP1080344.jpg
よく読んだら、模型って書いてあるので、復元の仕方を説明した模型でしょうかね~



程なく進み朱色の橋を渡る
常盤木門前の桝形内の土塀が見えてきます
P1080345.jpg



桝形内の土塀&常盤木門です
P1080346.jpg
常盤木門は、本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られていたそうです。
常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれています



常盤木門正面です
P1080347.jpg
古絵図などの記録から、江戸時代初期から設けられていたそうです。
元禄16年(1703)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706)に、多門櫓と渡櫓から構成される桝形門形式で再建されたものが、明治3年(1870)の小田原城廃城まで姿をとどめていたといわれています。

現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建したもので、昭和46年(1971)3月に完成しました。



じゃ~~ん
天守です
P1080350.jpg
天守閣は、城の象徴として本丸に構えられたものです。
古文書によると寛永11年(1634)に、三代将軍徳川家光が小田原城の天守閣に登り、武具を見たり展望を楽しんだという記録が残っています。
元禄16年(1703)の大地震のときには、小田原城のほとんどの建物が倒壊・焼失してしまいますが、天守閣は宝永3年(1706)に再建され、明治3年(1870)の廃城まで小田原のシンボルとしてそびえていました。



入口がある方からもう1枚
P1080351.jpg
現在の天守閣は、昭和35年(1960)5月に、市制20周年の記念事業として復興したもので、宝永時代の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に、鉄筋コンクリートで外観復元したものです。
内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっています。
標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島までみえるそうです。



それでは、最上階からの眺めです


石垣山一夜城方面
P1080352.jpg
石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。




ちょっぴりズ~~ム
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この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き志気を失ったっためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされたそうです。



真鶴 伊豆半島方面
P1080355.jpg
ちょっともやって写っていますが
実際は、もっと綺麗に海が見えましたよ~



駿河湾方面
P1080356.jpg
こちらも、実際はもう少し青い海が見えました
空と
海と
ビル
のコントラストがなんかいい感じ
だったように思います



たぶん駅方面
P1080358.jpg
そして、この後天守のチケット拝見の場所で、無事スタンプもゲット
神奈川に来たので温泉公方が食べたいと言っていたラーメンを食べに
この駅の方に行きました
よ~



P1090205.jpg
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会津若松城(鶴ヶ城)
2011年08月23日 (火) | 編集 |
今年のお盆は、3泊で湯神湯治

「こんな幸せなお盆があっていいのかな~という事で、
今年は意外なほど渋滞が多い高速でした温泉公方も期待感の方が上回っているせいか、御機嫌もなんとか持ちこたえ、会津に向かう事が出来ました

朝、5時に家を出ましたが、すでに西那須野塩原ICまで断続渋滞という事で、下道で西那須野塩原ICまで行き、そこから高速に
しかし、やはり混んでいるようで、須賀川だったかな~またまた降りて、今度は、磐越道 磐梯熱海ICからのり、最初に向かったのは会津鶴ヶ城です

鶴ヶ城には、何度となく行っていますが(そういえば遠足でも行った気が今回は、当時の様子に近づけるべく、赤瓦に改修され完成したため、実際見てみたいな~という事で廻り道しました
そして、もう1つ
最近始めた「スタンプもゲット」しなくてはとも思っていましたのでね~



のん達は、三の丸側の入り口からいつも入城します。
三の丸自体現在は、県立博物館や陸上競技場などの敷地に利用されています


三の丸駐車場には、こんな看板がたっていました
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天守閣特別企画展は、歴代藩主展でした
そして、もう1つ 会津松平家の祖 保科正之でした



もう1枚の看板城内の簡単な案内図です
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天守は復元ですが、立派な石垣他、曲輪・土塁・井戸・茶室(再移築)等現存しています




そして、城内への最初の入り口(三の丸から二の丸への入り口です)に立っていたのは、お城ボ君
鶴ヶ城のキャラクターみたいですね(前はいなかった気がします
P1060047.jpg



二の丸の堀です
P1060048.jpg
緑で綺麗な季節ですね



立派な石垣
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この先の二の丸は、伏兵郭も含め、現在はテニスコートとなっています。(猛暑の中テニスしてました
 



本丸の堀です
P1060050.jpg
縁に柵等なく、撮影している方々を見てヒヤヒヤしました
皆さん、気をつけましょう



二の丸から本丸へ通じる橋で、朱に塗られていて美しい 廊下橋です
P1060051.jpg
二の丸と伏兵郭で守り、戦いの際には、橋を落とせるようになっているそうです。
本丸につながる3本の入り口(廊下橋門、太鼓門、搦手門)の一つで、桝形の石垣で守られています。
蒲生時代までは、ここが大手門だったそうです。
城兵の移動が外から見えないように、屋根が付いていたことから、この名が付いたそうです。




廊下橋の両側には、高石垣です
P1060065.jpg
なんと20mの高さで、城内一。
石垣は布積(ぬのづみ)で構築され、扇の形の勾配で緩やかな美しい曲線を描いており"忍者返し"と呼ばれていました。




入口から入りファーストびゅう天守です
ここからは想像したより瓦は赤く見えませんでした
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数多くの戦国大名が治め、幕末戊辰の戦役でも有名なこの城は現在、本丸を「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開されています



本丸埋門から、天守へ
P1060053.jpg
この門は、天守閣の北東にあって本丸奥御殿の北側から本丸帯郭に通じる枡形の城門です。  
城内の他の門や建築物に比較して低い門構えで埋門の形態をとっていたそうです。  
大手口が東であった築城当時は表門でしたが、寛永十六年(1639年)の加藤明成による改築後は裏門となっています。
本丸御殿の勝手口としても重要な門だったようです。




天守の下には、本物のお城ボ君がいました
P1060054.jpg
会津若松市のHP、平成22年3月5日更新によると
市では観光PR等に活用するためキャラクターを制作しましました。
キャラクターデザインは、本市出身でまんがやアニメの世界で活躍されている 笹川ひろし氏 にお願いしました。
と言う事でした

また、お城ボ君は、お城とロボットと武士を融合させたゆるキャラみたいです
そして、後ろに見える石塁は、天守台ですよ~



天守入口側からパチリ
想像より瓦が赤くない感じがしました~
P1060055.jpg
鶴ヶ城は、1384年に葦名直盛が建立した東黒川館が始まりと言われています。
葦名氏ののち、仙台の伊達氏が治めていたこともあります。
文禄年間に、蒲生氏が本格的な天守閣を持つ「鶴ヶ城」を築城しました。
17世紀にこの地方を襲った大地震で、石垣や天守閣は傾きましたが、加藤明成が改修し、ほぼ現在と同じ姿を作り上げました。

1643年に保科正之が信州から移封され、23万石の城主となると、幕末に滅びるまで約240年の間、保科・松平家が会津を支配しました。
戊辰戦争では、西軍の執拗な攻撃に約1ヶ月もの篭城戦を戦いつづけましたが、明治元年(1868年)9月22日、開城しました。その時受けた砲撃で城壁はボロボロになり、明治7年に陸軍省の命令で取り壊されました。
その後、旧藩士遠藤敬祉らの尽力で払い下げられ、再び松平家に献上されました。
昭和9年、国の史跡指定を受け、昭和40年には、当時の姿のままに復元され、現在に至っているそうです。




いつもむなしい気持ちになる会津戦争でボロボロになった天守です
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気を取り直し、続けます
下からは、赤くない感じの瓦でしたが~
天守内の窓からみたらしっかり赤い瓦でした
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寒冷地の環境下、瓦の内部の水分が凍ることにより瓦が割れるという問題を解決するため、江戸時代の城主・保科正之が新しい瓦を開発。
内部に水分が入るのを防ぐため、鉄分を含んだ釉を塗った瓦は、赤茶色に焼き上がることから「赤瓦」と呼ばれたそうです。
以降、幕末の戊辰戦争を経て取り壊されるまで、若松城は赤瓦の城だったとのことです。



干飯櫓・南走り長屋は、平成12年に復元されたようです
P1060057.jpg
画像中央あたりに写る門は、鉄門と言うそうです



ここで、天守最上階からの眺めをご紹介します
この日は猛暑まっ只中でしたが、天守は風も通り気持ち良く綺麗な眺めを堪能する事ができましたよ~

北側の眺めです
P1060059.jpg
うっすら遠くに見えるのは磐梯山ではないでしょうか~



東側の眺めです
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下の芝生は本丸御殿跡遠くには東山温泉方面ですかね



南側の眺めです
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眼下には、天守の南へ延びる南走り長屋・干飯櫓と鉄門が見えます



西側の眺めです
P1060062.jpg
眼下には、桜の木がたくさん見えました
きっと春はピンク色なのでしょうね~

方角、合ってましたかね~



そして、天守内お土産コーナーを通り外に出た南走り長屋の辺りからパチリ
P1060063.jpg


松と青空がとてもきれいだったのでもう1枚パチリ
P1060064.jpg
南北朝の頃、葦名氏によって築かれた黒川城は、文禄元年(1592年)蒲生氏郷によって七層の天守閣を築き、城郭は甲州流の縄張りを用いて整備し黒川の名を若松と改め、城の名を鶴ヶ城と命名したそうです。
寛永16年(1639年)加藤明成は七層の天守を五層とし、北馬出、西馬出を北出丸、西出丸に改築し現在の形態となったみたいです。
昭和9年(1934年)12月若松城跡として文部省の史跡指定を受けました



若松城(鶴ヶ城)いかがでしたか
今回は、行く直前にテレビで「白虎隊」を大泣きしながら見たばかりだったので、余計に感慨深い見学となりました


また今回、天守周辺の茶室等は、前回しっかり見た記憶があったのと、この日は猛暑だったので、ほとんど赤瓦を見に行ったという感じになってしまいました
次回は、別の季節に来て、またじっくり堪能したいと思います
テーマ:城めぐり
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日本100名城スタンプ 1 「松本城」
2011年04月07日 (木) | 編集 |
のんが、この日本100名城のスタンプを知ったのは、恥かしながら、そんな前の事ではありません

温泉公方も知らないのだろうと思い、話したら…
ず~っと前から知っていたそうです

「集め始まれば、全部集めたくなり、どうせ全部行けないので集めてなかった」そうです

でも、あちこちのHPやブログでスタンプを見せてもらうと
とても良い記念になりそう
だし、かっこいいスタンプなので、今頃ですが、集める事にしました。



初ゲットした松本城のスタンプです
P1030956.jpg
緊張しながら、力いっぱい、何秒かキープして押しましたが…
うつってない所が~~~
初めてだし、仕方ないですかね



スタンプ帳は、早い時期は、城で無料配布していたそうですが、意外に大人気で、今は、本と共に購入しないと手にはいりません
のんは、松本城の売店で購入しました


これまで、北は、松前城、南は、熊本城まで、結構な数行っているのですが、もう1度行く事はなかなかできませんね
スタンプ、送って欲しいくらいです


でも、結果にこだわらず、良い記念にしたいと思います
テーマ:城址巡り
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松本城
2011年04月06日 (水) | 編集 |
2月に美ヶ原温泉で1泊した後松本城周辺の観光をしました。

今回は、松本城の御紹介です

松本城に行ったのは、3回目
しかし、何度行っても飽きる事はありません

普段から城址巡りが趣味で、天守どころか、建造物が何もない、土塁のみ石垣のみという城址も大好きで、良く行く2人ですが、もちろん、天守があるお城も興味津々です

特に現存の天守がある城は、いつか制覇したいと思っていますが、比較的近い(他の現存11天守に比べて)松本城には、行きやすく、近くを通るとやはり寄ってしまいます



久々の松本城なので、駐車場等もすっかり忘れてしまったので、今回は大手門駐車場に停めて、大手門側から入りました
大手門は、天守の南側で、実際の大手門は、駐車場より更にず~っと南の千歳橋の所にあったようです。



お城の入口にあるファミリーマートですが…
P1030650.jpg
瓦屋根がかけてあり、城下町らしい工夫を感じました。




外堀(水堀)です。
P2123510.jpg
緑色濃い水でした



外堀を渡ると、こんな景色です。
P1030652.jpg
まだ天守は見えません。



大きく立派な石
P1030653.jpg



国宝の説明書きです。(光っちゃいました
P1030654_20110408182707.jpg
国宝に指定されているのは
天守
乾小天守
渡櫓
辰巳附櫓
月見櫓の5棟
です。



本丸付近 江戸時代中期の古図です
興味のある方はクリックしてください。
P2123511.jpg



トイレも、天守と統一してありました
P1030655.jpg



天守、最初の1枚です
P2123512.jpg
雪吊りと天守、素敵な景色でした




文禄(1593~1594)時代に建てられた五重六階の天守閣は、日本最古の五重天守をもつ城です。
P1030658.jpg



少しズ~ム
真っ黒な天守なので、烏城(からすじょう)とも呼ばれているそうです。
なんで黒いのかというと
P1030657.jpg
松本城主小笠原秀政が家康に従い下総へ移ると、石川数正・康長父子が代わって入り、城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。
石川氏は豊臣秀吉の信頼の厚い武将でした。
そしてその秀吉の大坂城は黒で統一されていました。
松本城が黒いのは、石川氏の秀吉への忠誠のしるしと思われます。
また、松本城は戦国末期、鉄砲戦を想定した戦うための漆黒の天守の典型として、現存する唯一の城です




少し歩いて南側からパチリ
P1030664.jpg
逆さ天守が綺麗でした



ズ~ム
P1030665.jpg
いちばん右側の建物「月見楼」の朱色の回廊ワンポイントとなり綺麗でした
月見楼は、3代将軍徳川家光の善光寺参詣が計画された時、将軍を迎えるために松本城を増築したおりに造られたとのことですが、将軍の訪問は実現しなかったようです。



やや南西側からパチリ
P1030659.jpg
見る角度によって、色々な表情を見せてくれる天守です



逆さ松本城天守です。
P1030662.jpg
とても綺麗な逆さ天守なので、思わずパチリしました
あれ~うまく撮れてませんね



南西側からズ~ム
P1030660.jpg
遠い昔に、こんな均整のとれた建築が出来た事
日本人って凄い
です



上の画像の位置から、東の方パチリ
P1030666.jpg
内堀に映る景色が、綺麗な景色を更に引き立ててくれています


ズ~ム
P1030663.jpg
真ん中辺りの黒い囲いがある所が、天守へと続く黒門です。



黒門前に戻って上の画像を撮った方をパチリ
P1030667.jpg
この内堀には…



白鳥さんがいました
P1030686.jpg
のんは、山口城跡の堀で、白鳥さんの攻撃を受けそうになった事があるので、ちょっとビクビクでパチリしました
松本城の白鳥さんは、優しかったです~



この後、黒門から天守へ向かいました
P2123513.jpg



本丸御殿跡からの、天守です
P1030670.jpg
ここから見る天守群の眺めはとても素晴らしかったです
5層6階の大天守を中心に、右側に3層の乾小天守を渡櫓で連結し、さらに左側奥に2層の辰巳附櫓と手前に1層2階の朱色の回廊がある「月見櫓」を複合しています。
全部で5棟からなる連結複合式天守です。
連結複合式天守は日本の城では松本城だけに見られる特色ある構造のようです



天守の前に広がる本丸御殿跡です。
P2123516.jpg
いつも行く、マイナーな地方の城跡の本丸とは、当たり前ですが、比べものにならない広さで、画像におさめきれませんでした
真っ白な雪の本丸御殿跡でした



天守内部は、たいへんな混雑でした。
そのため、画像が中途半端ですがお許しを

松本城の沿革です
反射しちゃってますが、興味のある方は、クリックしてみて下さい
P2123519.jpg
江戸末期には現存天守が186もあったのですね
それが明治維新の旧物破壊でほとんど壊され、第二次世界大戦で、6城失い、現在の12天守のみとなったんですね
残念です



松本城の古い絵図です。
P1030674.jpg
城下の様子が想像できますね



乾小天守内部です。
P1030673.jpg
天守というと、大奥のようなきらびやかなお座敷を想像する方もいるようですが、それは、御殿であって、天守は戦うための城です。
なので、1度も天守に登らなかった城主もいたようです。





もう1枚パチリ
P1030675.jpg
現存天守の階段は、たいてい急です
万が一攻め込まれたことを考え、大天守は上階に上がるにつれ階段が急勾配となる造りとなっています。
足を上げるのがたいへんな位です



石落です。
P1030676.jpg
城郭の壁や石垣上部に床を張り出すように設けた開口部で、石垣をよじ登ってくる敵に対し石や熱湯を落下させたり、弓や鉄砲を撃って撃退する設備です。
11箇所あるようです。



武者走りです。
P2123520.jpg
大天守一階にあり、窓際に沿って一段低い廊下が巡らされていますが、これは非常時、矢を持つ武者たちが走って行動しやすいように作られたものです。

説明書きです。
興味のある方はクリックして見て下さい
P2123521_20110328201628.jpg



窓から見える乾小天守の屋根です。
P2123525.jpg
瓦など、修繕はしているのでしょうが、現存は、雰囲気違う気がします。



これは、大砲でしょうか
P2123526.jpg
石を落として戦っていたのですから、これも立派な武器なのでしょうね



昭和の修理まで付けられていたシャチホコ
P1030677.jpg
間近で見ると迫力あるし感慨深かったです



です。
P1030678.jpg
よ~く見ると男性の物の割合に小さめで、昔の方が小さかったのがわかります



途中の窓から見える西側の景色です。
P1030680.jpg
西側から内堀を渡って天守に続く朱色の「埋の橋」は、残念ながら工事中でした



大天守4階に、突然、高貴な簾
P2123527.jpg
3階のこの辺は、光が入り明るいです
他は、戦国仕様なので窓も少なく暗い所も多いです



「御座所」です
城主はあまりいなかったでしょうが
温泉公方をパチリ
天守たつ



そして、大天守6階、最上階からの眺めです。
4方向撮りました

東方面です。
P2123528.jpg
真っ白な本丸跡
真ん中右の建物は、お土産処と、100名城スタンプがある事務所です。
このお土産処で、今頃ですが、100名城スタンプ帳を購入して初スタンプをゲットしてきましたよ~



たぶん南方面
P2123529.jpg
内堀と、その外側を歩く方が写っていますのでやっぱ南側です



これは、「埋の橋」が写っているので西方面ですね
P2123530.jpg



と、言う事は、これが北方面です
P2123531.jpg


天気が良いと、北アルプスの絶景が見えるようです
綺麗でしょうね~


景色をしばらく見た後は
段差が広~い階段を慎重に降りて、また、外の散策をしました。



二の丸御殿へ通じる太鼓門です。
P1030694.jpg



門をくぐった所には、二の丸御殿の説明書きがありました。
P1030695.jpg



二の丸御殿跡です。
P1030696.jpg
城主の居館と正庁だった本丸御殿が、1727年(享保12)に焼失してから機能がここに移され、以後、明治維新まで藩の正庁だったそうです。
廃藩置県後もここが県庁となり、筑摩県の中心官庁となったものの、1876年(明治9)6月19日の不審火によって焼失したそうです。



もう1枚パチリ
P1030697.jpg
雪でわかりづらいですが、発掘調査したような跡が残っています



二の丸から外堀を渡って外に続くです。
P1030700.jpg
太鼓橋になっている素敵な木橋でした



橋から撮った
二の丸御殿北外側の外堀(水堀)です
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雪が積もって真っ白な土塁も立派です



天守北側歩道からの1枚です
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手前が外堀真ん中が、内堀へとつながっています
石垣の右側が天守ですよ~



もう1枚パチリ
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このあと、松本神社を参拝して、西側近くの入り口からもう1度登城
工事中の「埋の橋」を見て西から東へもう1度攻め落とし行きに通った大きな石碑から出た所でランチをいただきました
テーマ:城址巡り
ジャンル:旅行
栃木~茨城~埼玉 グルメドライブ 「豊田城 寄り道編」
2010年12月17日 (金) | 編集 |
珍來松代店を、満腹のお腹で出発しましたが、また、グルメ偵察に行くという温泉公方
お腹パンパンだからスウィーツしか食べられないかも~」と、のん(別腹ですから
到着までは、結構時間もかかりそうだし、行ってみようとドライブを再開した2人でした

所々道が混んでいました
渋滞が苦手な温泉公方ですが(うれしい方はいないでしょうが)、この日は、ご機嫌でひと安心
休日に、幹線一般道を長距離走る事が少ないので、ま~良い経験でした

知らない道をドライブするのもまた楽しく景色を見ながら、ナビを見ながら進みましが、のんが、ナビに城マークを発見
いつも、温泉旅行に出ても、近くの城址は見に行ってしまう2人なので、すぐに反応しましたよ
「こんな所に城跡あったっけ
「石毛城ってあったっけ
と会話しながらナビをよ~く見ると、城マークなのに、そこには>、「上総市地域交流センター」の文字
その日は、何気に見てきましたが、うちに帰ってから調べたら、この周辺にある豊田城の模擬天守として築城された、コミュ二ティーセンターでした。

城談義をしているとほどなく、右側に予想を超えるスケールの天守が現れ、思わず2人共、びっくり声をあげました

幹線道路からこんな風にみえるので、地域交流センターでも曲がってしまいました~
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正式名称、「上総市地域交流センター(豊田城)」です。
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豊田城址は、この近くにありますし、石毛城址もここではありませんが豊田城の模擬天守をここに築城したみたいです。
町起こしの一環でしょうかね~
大天守閣の右に付け櫓、左に渡櫓と大き目の櫓を配す”複合連立天守”という構成。
1階取り付け格子で敵襲に備え、侵入を防ぐ。
最上階には高欄があります

歴史上の豊田城平将門を滅ぼした平貞盛の流れを汲む豊田氏の豊田郷にあった城で、平安時代末期から戦国時代までこの地方を支配した垣武平氏一族の豊田氏が、東部に流れる小貝川べりに城を築き、豊田城と呼ばれていたそうです。


 
金の鯱鉾までありました 
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左の棒状のものは、避雷針です




地域交流センターは、1,100人収容のホール及び図書室(1・2階)石下の歴史を紹介した展示室からなる施設として、平成4年に開館しました。
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5層7階の堂々たるもの。
天守閣の高さが48.5mあり、日本で二番目に高いお城です
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しかし、実際の豊田城は、石垣もなく茅葺きの小さな城だったみたいです。(現地にこの復元希望です
つまり、場所も造りもまったく違うようです
ここから、15kmほどの逆井城址公園は、しっかり復元されつつあるのですが、対照的な感じがしました。
しかし、それにしても見事です~~



ちょっと離れた所からパチリ
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天守の周りにはいくつか、このような天守に合わせた建造物が建っており、頑張りを感じました
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せっかくなので、正面まで行ってみましたよ~
塀も見事です~
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正面からパチリ
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凄いでしょ~
中からは、消防か警官かの制服を着ている方々や、おじいさんおばあさんのグループも出てきました。
きっと、いくつかのイベントがあったのでしょうね

中に入れるかは未確認だったので、今回は、外観だけ攻め落としましたが、帰って調べてみたら、400円で、展示室、展望台に登れるみたいです。筑波山、富士山、日光連山等が眺められ景色は良さそうですね~

この後、少しウォーキングしてお腹もこなれた所で、埼玉へのドライブを再開しました~
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